「白神山地における植生を中心とした自然環境の評価と保全について」

谷川耕一


Due to the public concern focused on the environmental problems, an approach from an ecological point of view is required today for the space planning such as land development. This study attempts to provide an integrated analysis of the land potential in terms of the vegetation, the geography and the habitat of animals, and to illustrate its methodology. Evaluation and consideration is made on meshed ecological/geographical data of the Shirakami mountains, known by social problems caused by imprudent plan of destruction of a primeval forest of beech trees for constructing the roads. In general, since the good environment for plants and animals is also valuable in terms of forestry utility, where the economy competes with the ecology, it is considered to have difficulty in paying ecological attentions with the conventional evaluation method of the function of the forest.

土地自然評価の意義

 緑や動物との触れ合いやさまざまな環境問題に対する社会的関心の高まりから、 都市開発や地域開発・整備に際して、 従来の建築・土木工学・化学などの分野からだけでなく、 生態学的な視点からのアプローチが必要となってきている。 これまで、 都市やその近郊、 あるいは農林業地域では、 生産性・作業性などの効率や経済性を中心とした空間計画が進められてきた。 しかし、 自然資源の稀少性と重要性を考えるまでもなく、 土地自然のもつ潜在力(Land p-otentiality, Naturpotential)を有効に活かしつつ、 自然資源をできるかぎり有効に永続的に利用してゆく、 持続的開発のあり方が求められている。
 近年このような考え方は、 国連環境計画(UNEP)の生態学的開発(Ecodevelopment)の概念や、 国際自然保護連合(IUCN)の環境計画委員会の景域計画(Landscape planni-ng)などのなかに見られる。 日本では自然立地的土地利用計画という考え方が、 農林業関係を中心に研究されている。 この自然立地的土地利用計画の終局的目標は、 地域総体の保全(景域保全)であるとされている。 また土地利用の多様性が高い土地は、 自然潜在力が高いと評価され、 本来土地利用は自然潜在力の範囲内のみで可能であり、 自然潜在力は土地利用形態を規定する大きな要因であるともされている(武内 1981)。
 ところで、 この自然潜在力の基礎となる生態学的データの多くは、 長時間の観察を必要とするうえ量よりも質を示すものが多く、 数量化しにくいという弱点をもつ。 また、 さまざまな視点からデータを収集する必要があり、 データの量も莫大であったり、 その解析や評価には多くの時間を必要とする。 そのため日本において生態学的視点から得られるデータを、 適正に評価し反映した開発行為は少ない。
 空間計画における自然潜在力の評価にあたっては、 複雑に絡み合う生態学的要因を、 少ない指標によって複合的に表現することが必要である。 開発行為による新たな土地利用の展開が、 自然潜在力を含めた周辺環境にもたらす影響評価は、 環境アセスメント(Environmental impact assessment)としておこなわれ、 この環境アセスメントのなかで、 生態学的手法により調査がおこなわれる。 しかしながら、 現在おこなわれている環境アセスメントの多くは、 遂行される計画案をチェックする事業評価体系として位置づけられるものであり、 計画段階から生態学的データを主軸に環境総体を評価する手法が構築されていない。
 本研究では、 土地自然がもっている価値を、 植生・地形・動物の生息という面から統合的に把握すること、 及びその手法構築の例示を目的とした。 そこで、 林道計画、 ブナ原生林伐採が大きな社会的問題となった、 東北白神山地を対象地域に選び、 植生、 地形、 動物などのデータをメッシュ化し、 それぞれを個々に、 または重ね合わせにより評価・考察をおこなった。 得られた結果を、 対象地域に対してこれまでにおこなわれた、 従来の土地評価方法による計画案と比較し、 残りすくない原生的な自然環境の保全と、 自然資源を持続的に利用するための人間活動の関わり方について考察をおこなった。

事例対象地域の概要

 白神山地は青森県・津軽平野の南西部と秋田県北西部にまたがる東北日本海側の多雪地帯に位置し、 暖かさの指数80〜90m.d.(m.d.:Month degree)、 年間降水量1,600〜2,000mmである。
 動物地理的位置としては、 津軽海峡にブラキストン線があり、 日本には、 青森県を生息北限とする哺乳動物(ニホンザル、ツキノワグマ、ニホンカモシカ、ムササビ、ヤマネなど)も多いが、 白神山地ではそのほとんどの種が生息すると思われる。
 植生は、 ブナクラス域に含まれる。 植物相の特徴としては、 人里に近い部分や林道に隣接したところは、 スギを主体とした針葉樹の人工林や、 ミズナラを主体とする天然性二次林がみられる。 その他の大部分は、 ブナ林に覆われており、 林床の大部分はチシマザサが出現し、 ブナ(F.c-renata)以外の森林を構成する樹種としてはカエデ類が多い。
 東北地方では、 通常標高2,000m付近から見られる高山帯が、 ここでは標高1,000m前後の山地の稜線部にみられる。 これは、 厳しい冬季の気象条件、 とくに日本海からの風の影響で、 低木群落と風衝草原を含んだ"偽高山帯"として形成されている。 ブナ林は、 衛星写真によると面積47,000haとされ、 そのうち青森県側11,250ha、 秋田県側4,800ha、 計16,050haが原生的自然林とされている。 これは、 まとまったブナ林としては日本最大の面積ものと推測される。
 偏西季節風、 多雪、 地質的な要因などから、 崩壊や雪崩などがいたるところに数多くみられ、 その影響により形成される斜面には、 ヒメヤシャブシ-タニウツギ群落、 オオイタドリ群落などがみられる。 また沢筋にはサワグルミ群落などがブナ林の中にモザイク状に分布し、 植物種・植生単位双方とも多様性が高く、 変化のあるものとなっている。
 険しい気象・地形条件から、 人間の行動範囲も制限され、 林内についてはまだ未知の部分も多く、 今後さらに新しい植物種の発見の可能性が残されており、 日本でもほかには例をみない広大で、 奥の深い森林地域と考えられる。 一部の人工林と二次林を除くほぼ全域は、 環境庁の植生自然度では9(自然林)、 10(自然草原)という原生的自然を示す値をとる。 1983年には「日本の自然100選」にも選ばれている。
 白神山地周辺では、 自然環境保全地域の指定はなく、 周辺の自然公園として津軽国定公園(内特別区域271ha)、 赤石渓流暗門の滝県立自然公園、 岩木高原県立自然公園(青森県)、 八森岩館県立自然公園、 きみまち坂藤里峡県立自然公園、 田代岳県立自然公園(秋田県)がある。
 地元にとっての白神山地は、 古くは津軽藩による津軽山方制度と呼ばれるものにより管理されていた。 現在でも周辺にはクマ撃ちを仕事とするマタギ部落もあり、 山菜やキノコ取りなどをおこなっている。 山村の人々にとっては、 山々は豊かな恵みの場所として存在し、 その意味で一種の里山ともいえる。

青秋林道問題について

 白神山地一帯のブナを中心とする原生的自然林は、 国の自然環境保全地域指定の検討対象地域にあげられていた。 一方で広範な未開発地域を対象とした、 広域基幹林道「青秋線」(青秋林道、秋田県山本郡八森町から、 青森県中津軽郡西目屋村までを結ぶ延長28.1km、 ルート変更後29.6km)が当該地域を横断するかたちで検討されていた。 1982年3月に林道の全体計画が県から発表され、 自然保護と開発の問題が顕在化した。
 これに対し「青秋林道に反対する連絡協議会」 「白神山地の原生林を守る会」が発足し、 県に対して意見書の提出、 環境庁に対して自然環境保全地域の指定を求めるなど、 林道工事反対の行動がおこなわれた。 一方地元八森町では「青秋林道を促進する会」が発足し、 過疎脱却を目標に林道開設促進のために、 県に陳情するなどの行動もあった。
 林野庁は1984〜1985年度にわたり、 日本林業技術協会に委託して現地調査をおこない、 1986年に「白神山地森林施業総合調査報告」を発表した。 これにもとづき白神山地伐採計画を発表した。 1982年度当初の林道の目的は、 森林経営の活性化、 経済圏の拡大、 過疎の解消、 文化の交流などがあげられていた。 しかし1985年の伐採計画では、 林道通過地域一帯は自然観察教育林とする方向に変更され、 森林経営の活性化という大きな目的が薄れてしまった。
 また、 1987年5月には、 日本弁護士連合会が、 林野庁と環境庁に対して「白神山地の自然保護に関する意見書」を提出するなど、 関心は自然保護的な態度を中心に全国的なひろがりをみせた。 1987年10月林道予定線上の水源涵養保安林の指定解除申請が出されたが、 同年11月意義意見書13,202通が自然保護団体などから青森県知事に提出された。 この意見書のなかには、 地元青森県鯵ヶ沢町住民1,014通が含まれていた。 以上のような自然保護に対する世論の高まりや、 林道そのものの目的の不鮮明さなどから、 その後、 両県とも建設に慎重な態度となり林道工事は停止し、 1990年3月には林野庁による「森林生態系保護地域」の指定により、 林道計画線周辺11,000haは原則的に人手を加えない「保存地区」となり林道計画は中止の状態となった。 また青秋林道とは別に、 1973年から赤石川沿いに自然林伐採を目的とした奥赤石川林道の建設もおこなわれてきたが、 1983年に林道予定線上に天然記念物のクマゲラの生息が確認され、 現在これも建設工事が凍結されている。
 これら一連の自然保護の動きに関しては、 新聞などマスコミでも多くの機会にとりあげられてきたが、 その際にも地元の過疎問題などにはあまり触れられていない。 八森町の人口は、 1960年代からくらべると1985年には約2/3に減少している。 漁業の不振、 観光資源がないこと、 漁業に変わる地場産業のないことなどがその原因と考えられる。 地元としては、 白神山地のブナ林伐採よりも、 雇用機会を増やす林道工事、 あるいは林道完成後の地域の活性化に期待している。
 ところで白神山地の北部には、 青秋林道にほぼ平行に、 青森県西目屋村と日本海側の岩崎村を結ぶ弘西林道(現在県道)がすでに完成している。 この林道は崩壊や毎年冬期の降雪、 それにともなう雪崩などにより、 災害と補修工事の繰り返しというのが現状である。 林道建設当初の「津軽経済圏の拡大」 「豊かな森林資源を適切に管理し、 効果的多目的に活用する」という過疎脱却の期待とは逆に、 林道開設後も村の人口の流出は続いている。 そして周辺のブナ自然林は伐採が進み、 その後のスギ植林・ブナ天然林施業などは成功しているとはいい難い。
 この前例からも、 白神山地周辺においては林道建設が、 すくなくとも直接的に過疎を食い止める効果はないと予測される。 しかしながら、 自然保護と地元の過疎問題は密接に結び付き、 切り離して考えられない問題である。

土地自然把握方法

 白神山地のブナ林のうち、 原生的自然林とされる16,000haの地域から、 その中心部分で青森・秋田県境をなす二ツ森〜小岳に延びる稜線の南北両側をメッシュデータ化の対象とした。 この地域を選定した理由は、 秋田県による「粕毛川源流部自然環境調査報告書(1985)」の調査範囲と重なること、 赤石川・粕毛川という2つの広範かつ自然性の高い原生流域を含むこと、 青秋林道計画予定線を含んでいることなどが挙げられる。
 メッシュ図は、 国土地理院発行1/50,000地形図「中浜」に1辺250mの正方形を単位として作成した。 二ツ森の頂上から北に約3.5Km西に約1.25Kmの地点から、 東方向に35、 北方向に40、 総計1,400個のメッシュを作成した。 面的データは、 メッシュ内を占める面積割合の最大のものを読み取った。
メッシュ図作成に用いた図一覧

地形図:

1/50,000「中浜」、1974年、国土地理院発行

現存植生図:

1/50,000「中浜」、1986年、環境庁発行

現存植生図:

1/25,000「粕毛川源流部自然環境調査報告書」、1985年、秋田県

地すべり地形分布図:

1/50,000「中浜」、1985年、国立防災科学技術センター発行

地質図:

1/50,000「中浜」、1983年、通産省工業技術院地質調査所発行

白神山地の林相図:

1/25,000、1987年、山田 究、 「白神山地における3種類の樹冠型のブナ林の成因」、 筑波大学農林学類卒業論文

 以上の図書から平均標高、 斜面の傾斜度、 ガケ地の有無、 地滑り地形、 表層地質、 植生、 ブナ林の樹冠による林相の7項目のメッシュ図を作成した。 作成したメッシュ図を重ね合わせ、 出現率や数量化手法を用いてそれぞれの項目の相互関連性を分析した。

結果

ブナの生育と地形
 各項目のメッシュの割合で傾向のみられた、 平均標高、 斜面の傾斜度、 ガケの有無、 地すべり地形の4つの項目について、 項目の凡例毎の出現頻度をブナの林相ごとに求めた。 その結果から生態価(ecological valency)の考え方を参考に、 メッシュの凡例ごとの出現率を求め、 林相ごとにどの地形条件に対して選択性(あるいは非選択性)があるかを考察した。
 生態価は、 種の環境への適応の状況を示すものである。 生物の生存に関係する環境要素には、 それぞれ最適量があり、 最大最小の価を越えると生存できなくなる。 この最大と最小のあいだの広さを生態価という。 生態価が広いとはその種がどのような環境下でも出現するような場合であり、 生態価が狭いとは環境選択性が強く、 その種が特定の環境下でのみ出現するような場合である。
 ブナの生育の良好な林相が樹冠大で密のものは、 平均標高で400m以上700m未満を選択する。 斜面の傾斜は、 急傾斜から緩傾斜の方向に選択性が強く、 ガケがなく、 地すべり地形の移動体に位置する環境を選択する傾向がみられた。 逆に生育のよくない樹冠が小でやや疎のものは、 平均標高はとくに選択性はみられないが、 斜面の傾斜では緩傾斜から急傾斜の方向に選択性が強くなる傾向がみられた。 ガケの有無はガケ有りを、 地すべり地形では地すべり地形以外に位置するを選択する。
 ブナの生育がよいメッシュとよくないメッシュのあいだに、 ほぼ反対の環境選択性がみられる。 またこの環境選択性は、 林相別各項目ごとのメッシュの割合による結果とも一致した。
クマゲラと植生・地形
 自然環境の空間を構成する生物要因の1つである、 動物と対象地域の生息環境の関連性をみるために、 国の天然記念物であり本州では極めて生息数の少ないクマゲラについて分析をおこなった。

アイテム

カテゴリー

サンプル数

カテゴリー数量

範囲(偏相関係数)

平均標高

〜400m

1

0.24727

0.77178(0.28680)

400〜500m

7

-0.13738

500〜600m

10

-0.36631

600〜700m

25

-0.03826

700〜800m

28

0.10361

800m〜

6

0.40547

傾斜

〜10°

4

-0.50211

0.96525(0.44629)

10〜20°

25

-0.42219

20〜30°

25

0.07645

〜30°

23

0.46313

ガケの有無

なし

61

-0.04923

0.23694(0.14841)

あり

16

0.18771

樹冠による林相

小で密

10

0.62113

1.41286(0.55429)

小で疎

17

0.37983

中〜大疎

31

0.07660

大で密

19

-0.79174

地すべり地形

移動体

22

-0.55107

1.01392(0.46750)

滑落崖

18

0.46285

その他

37

0.10249

外的基準

クマゲラ

26

-1.19012

相関比:η2=0.72207

その他

51

0.60673

数量化II類による分析結果

 小笠原・千羽(1986)のデータから、 クマゲラの生活痕の確認された位置にあるメッシュを抽出し、 それをクマゲラの生活可能性が有るメッシュのサンプルとした。 このサンプルとそのほかのメッシュとの関係を探るために、 数量化理論II類による分析を試みた。 外的基準はクマゲラの生活可能性有りのブナ林とその他のブナ林とした。 またアイテムにはブナ林の生育に傾向のみられた平均標高・斜面の傾斜度・ガケの有無・地すべり地形の4つと、 ブナ林の生育を示す樹冠による林相を選んだ。 結果の精度を表す重相関係数はR=0.850、 外的基準のグループの判別の精度を表す相関比はη2=0.722となった。
 外的基準のカテゴリー数量の大小は、

クマゲラの生活可能性の有るメッシュのカテゴリー数量 < その他のメッシュのカテゴリー数量

となっている。 よってカテゴリー数量が小さいほど、 クマゲラの生活可能性を高めることに貢献することになる。
 各アイテムの基準化されたカテゴリー数量から、 平均標高で400m以上700m未満、 斜面の傾斜度で20度未満の緩傾斜地、 ガケの有無ではガケ無し、 地すべり地形では移動体に位置する、 樹冠による林相ではブナの生育のよい樹冠が大で密であることが、 クマゲラの生息可能性を高めるの要因と推定された。
 基準化されたカテゴリー数量をスコアにし、 クマゲラの生息可能性が高いメッシュと低いメッシュの2つに区分したメッシュ図を作成すると、 生息可能性が高いメッシュの分布は、 おもに二ツ森北側から赤石川流域にかけての地域、 粕毛川の流域となっていた。 赤石川流域の一部を除き、 全体的にまとまったかたちの分布は見られない。

林業施業との関係
 林野庁による「白神山地森林施業総合調査報告書」(1986)のなかで、 林業施業のための森林生産機能の評価をおこなっている。 総合評価は、

1

主として人工林施業をおこないうる地域

2

主として天然林施業をおこないうる地域

c

施業対象外

の3つに区分しその結果をもとにゾーニングをおこなっている。
 そこでこの評価基準に準じて、 今回作成したメッシュの評価をおこなった。 その結果、 今回の対象地域では人工林施業の対象と評価されたメッシュは71メッシュで、 全体の約5%程で、すでに人為的な影響のあるスギ植林のメッシュ、 ブナ-ミズナラ群落のメッシュを含み、 分布はいずれも人里に近い地域となる。 天然林施業の対象と評価されたメッシュは951メッシュで、 全体の約53%分布は赤石川流域と粕毛川流域にまとまって分布する。 人工林施業・天然林施業を合わせると、 全体の約60%となる。
 この林業施業対象評価のメッシュ図と、 さきに作成したクマゲラの生息可能性のメッシュ図を重ねると、 クマゲラの生息可能性が高いメッシュと施業対象のメッシュは約70%ほどが重複する。

考察

白神山地のブナ林の特徴
 白神山地のブナ林は、 一般には"ブナ原生林"で覆われていると表現されてきた。 今回の結果と数回の現地調査から、 白神山地は環境の変化に応じてさまざまな植生がモザイク状に存在していることが分かっる。 植生調査によると群落数も20前後報告があり、 とくにブナ-チシマザサ群落とされるいわゆる"ブナ林"についても、 環境に応じて生育状況にも変化があり、 さまざまな構造をもっていることが確認された。
 白神山地のブナ林は、 ブナ原生林という言葉のイメージからはブナの大径木が高密度に出現するように思われるが、 実際には原生的自然林の中心部分でさえもブナ林としてはあまり良質とはいえない。 これは白神山地のブナ林が厳しい気象条件から、 日本における北限に近い性格を示し、 さらに地形条件も良好といえない地域に分布するためと推測される。 対象地域でブナ林の生育にプラスとなる環境条件としては、 標高で約400m〜700m、 傾斜が緩くガケがないこと、 地すべり地形の移動体部分に位置することがあげられる。
 白神山地は全体的に傾斜の急な地域である。 そのなかで比較的斜面の傾斜が緩いのは山頂部や稜線部、 そして地すべりにより形成される場所がある。 山頂部や稜線部は標高と気象条件から、 ブナは生育良好とはならない。 地すべり地形と傾斜のあいだには、 傾斜が大きくなると地すべり地形の割合が低くなる傾向がみられる。 これらのことからブナ林の生育と地すべり地形のあいだには、 密接な関係があると考えられる。
 白神山地には、 ブナの1つの大きな林分が存在するのではなく、 森林の再生段階の異なったさまざまなパッチ(小林分)がモザイク状に存在している。 そして、 このパッチそれぞれが1つの生態系であり、 さらに周辺に存在するパッチとのあいだに相互関係を保ちつつ広がっている。 大きな林分としてブナ林が存在するならば、 その一部に何らかの撹乱が起こったとしても林分のなかで自然のうちに自己再生がおこなわれることが期待できるが、 パッチの集合体の場合は、 1つのパッチで撹乱が起きるとパッチのなかだけでの再生は期待できず、 周辺のパッチに影響が広がる危険性がある。 こうしたパッチ・ダイナミックスの議論と、 地形的な不安定さ、 厳しい気象環境を考えると、 小林分の破壊は周辺に容易に拡大していくことが予測できる。

クマゲラの生息とブナ林
 野生動物の代表としてとりあげた天然記念物のクマゲラは、 ブナ林に強く依存する鳥種である。 今回の結果から、 クマゲラの生息・生活痕の確認場所とブナ林の生育状況の良否のあいだに強い相関が認められた。
 ブナの生育がよいところでは、 小径木から大径木、 さらには半枯木から枯木までさまざまな林令のものが混在する極相状態である。 若齢なものから老齢なものまでが存在することにより、 自己維持系としての生態系が形成されていると考えられる。 そのためクマゲラにとっては採餌・繁殖などの生活行動のために必要な採餌木・ねぐら木・営巣木をすべてを確保できることになる。

自然環境の保全への提言
 これまでの林業施業の評価基準で導き出される地帯区分は、 林業をおこなうことを環境の主体と考えているため、 人間の作業性や生産物の市場価値などが区分を決定する大きな要因となっている。 分析の結果から、 自然資源の保全と保存をはかるために環境の主体をそこを住処とする野性動物や植物に置き換えると、 林業と生物の双方にとって利用価値の高い評価が得られる場所が重複してしまう。 とくに白神山地では動物生息と林業利用は競合し、 従来の森林機能評価の方法では野生動物保護に対する配慮は難しいと考えられる。
 1988年12月、 林業と自然保護に関する検討委員会(林野庁)により、 従来の伐採中心の林業経営から自然保護に重点をおいた森林管理の必要があるとして「森林生態系保護地域」の提言が発表された。 白神山地もその対象となっている。 この「森林生態系保護地域」はユネスコのMAB計画(Man And Biosphere:人間と生物圏計画)の考え方をもとに、 人為的干渉を排除し自然資源の保護をおこなうコアエリア、 緩衝地帯として研究、教育、保健休養などの場とするバッファーゾーン、 バッファーゾーンに外接する部分は、 バッファーゾーンの機能の維持に留意した林業地域を設けるとしている。 林野庁もこれまでの伐採による採算性中心の方向性を、 自ら変更することになった。
 白神山地のブナ林そのものは、 生育も良好とは言えず、 また古くから抜き切りなどによる人為干渉の痕もあり、 厳密な意味での原生林とはいえない。 地元にとっては古くから里山として存在している面もある。 実際、 「保存地区」の指定によりキノコ採集などの利用ができなくなるのでは、 という地元からの不安の声も出ている。 白神山地のブナ林は、 地元の人々にとっては里山的な存在であっても、 一般の人々にとっては原生林であり最高レベルの自然環境である。 言い換えれば、 地元の人々はある程度自然に精通したレベルの高い利用者であり、 都会に住む人が同様の利用をするためには訓練と覚悟が必要であろう。 同じ白神山地を対象に論議しても、 両者のあいだには大きなへだたりが起こることは避けられないと考えられる。
 人間が自然環境と接していくには、 自然に対して未熟な人々が日常的に利用する自然から、 ある程度熟練した人々が特別に利用する自然までいくつかのレベルを設定する必要がある。 白神山地は、 ある程度熟練した人々が接することのできるレベルの自然環境と考えられる。
 自然環境のレベルと利用者のあいだには、 一定の秩序を生むような規制・誘導方策を考えねばならない。 これまでのように保護すべき自然環境を、 貴重(あるいは希少)な動植物のみを基準に選定しようとすると、 地理的・気象的に厳しい環境は対象となりやすいが、 人間の利用価値も高くかつ生物種の多様性に富むような環境は抽出されにくい。 したがって、 貴重な動植物と同時に、 地形を中心とした要素についても生態学的データを利用し評価する必要がある。 自然環境のレベルに合わせた利用計画をたてられれば、 自然環境を保全しつつ開発、 利用できる環境創造に結び付くであろう。

課題

 今回の研究では気象・土壌などのデータが欠けており、 そのため保全計画を考える上では不十分である。 また、 今後とくに野生動物に関する分野、 森林土壌に関する分野での成果を蓄積し、 計画に利用していく必要がある。 白神山地を対象にした多くの科学的研究がおこなわれることが、 この地域の自然環境保全と活用への議論のきっかけとなることを期待する。

[引用・参考文献]

  1. 石田憲治・亀山 章、緑地機能分級と用地分級、農村計画学会誌13(1)、16-32、1984

  2. 市川健夫、『ブナ帯と日本人』、講談社現代新書、pp204、1987

  3. 大沢・土屋信之・角清愛、地域地質研究報告「中浜地域の地質」、地質調査所、pp62、1983

  4. 斉藤宗勝・牧田 肇・斉藤信夫、白神山地自然環境調査報告書−植物編−、青森県、pp61、1987

  5. 財団法人日本自然保護協会、白神山地のブナ林生態系の保全調査報告書、 日本自然保護協会報告書第62号、pp154、1986

  6. 財団法人日本自然保護協会、ブナ・シンポジュウム資料集、pp128、1985

  7. 社団法人日本林業技術協会、白神山地森林施業総合調査報告書、林野庁、pp273、1986

  8. 武内和彦、景域生態学的土地評価の方法、応用植物社会学研究5、1-59、1976

  9. 武内和彦、自然立地的土地利用計画の方法論的研究、造園雑誌44(3)、137-154、1981

  10. 武内和彦、農地整備計画における生態学的土地評価、応用植物社会学研究10、12-18、1981

  11. 山田 究、白神山地における3種類の樹冠型のブナ林の成因、筑波大学農林学類卒業論文、1987



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